とか言ってもピンと来ないよね。(笑)
資本主義の基本となっているギブ&テイクという概念は、実は恐ろしい欠陥を持っている。
このギブ(常に対価を求め、与えるという驕りさえ持っている。)
そしてテイク(金やモノを得るために生きてしまう。金欲物欲の利己心を扇動する。ギブしないテイクは気兼ねしてしまう。)
こうして人の意識や人間関係が金に支配されるのが資本主義のシステムな訳だけど、
そうしてこの世知辛い世の中が出来ているわけです。
この利己欲がベースになっているシステムのおかげで、世界中の中々ギブ出来ない状況の弱者はいつまでも弱者、
金を稼ぐのが巧い人は自分の懐にガッポガッポと金を溜め、アメリカは特定の支配層の利己欲のために戦争を起こし捲くり、金のために企業はエコエコと口だけで言いながら自然を破壊し続け、人間の住む環境を滅ぼす事を止められない。
(人々が物欲に走れば走るほど自然は破壊されて行く。)
利己的な、世界のたった300人の個人が世界の半分の富を牛耳って、12億人の人々が1日1ドル以下の生活をしいられ、餓死する子供も毎年膨大な数に及んでいる。
共産主義もまた金に支配され、特権階級が資本主義富者と同じように富を牛耳る形になって崩壊した。
では、ホントにみんなが幸せになれる社会の形ってなんなんでしょうか??
それが分かり実践出来れば、地球は人類は救われるのだ。
常に対価を求めるギブと、私利私欲で世の中の腐敗が進んでしまうテイク、の形じゃない、
強者弱者や貧富の差が無くなって行くような有り方って一体なんなんだろう、とずっと考えていた。
去年、ある時その答えが見えたような思いに至った。
2年前、作曲や編曲の仕事をほっぽって始めたこの弾き語り人生なんだけど、
初心に帰ってストリートやビーチやボラライブをやって来た中に、その重要なヒントがあることにこの期に及んで気付いたのは遅い位だった。
原初の形のストリートミュージシャンや大道芸人達(托鉢行で祈りを捧げる僧侶もよく似ている)は、まず自分に出来る仕事を道ゆく人々に捧げる。
相手にお金があるとか無いとか、社会的な強者弱者とかも関係なく道ゆく人にゆき渡る。
冷ややかな目で見られても、通り過ぎられても、立ち止まって見るだけでも、見て聴いて楽しんでもらうだけ(気兼ねもない純粋なレシーブ)でも、自分の全てを供給(対価を求めないサーブ)する。
中には気に入って投げ銭を入れてくれる人がいる。
ありがたく感謝していただく。(気兼ねないレシーブ)
(実はその投げ銭は、道ゆく人からの対価も求めず驕りもないサーブになっている)
こうして食える人はそうそういないんだけどね、特にストリート文化が中々市民権を得られない日本では。
(ヨーロッパじゃ普通らしい)
この大道芸人のあり方、資本主義のギブ&テイクから逸脱していることにお気付きでしょうか?
オレもやっと気付いたのであった。(笑)
それは対価を求めず、与えるという驕りもない”サーブ”(供給、仕える)と、
気兼ねすることもない純粋な”レシーブ”で成り立っているという事に。
サーブというものは差別なくゆき渡るのだ。
そうして生かされる形が、この世知辛い資本主義の世の中にもあるのだ、と気付いた時になんだか救われたような気持ちになった。^^
きっと現代社会でも、家族が多くても、そういう形で生きて行くことがきっと出来るのではないか、という無謀な想いがもたげて来た。(笑)
それ以来、ストリートに限らず自分個人に出来るコトはどんどんサーブして行こう、と決めたのであった。
実は今、それに命を架けているのでありました。
(そうして生きている人が実際日本にもいるんですぜ!)
”もし”、だけど、
みんなが自分の力を、みんなの幸せのためにサーブし合って生きられる社会システムが出来たなら、
貧富の差や恩恵を受けられない社会的弱者もどんどんなくなって行くでしょう。
それは利己欲中心の資本主義の世の中の常識では想像しずらい形かも知れない。
人間が本来持っているとも言える利己欲を解き放ち、一人一人が利全欲中心になって行くようなことだから。
でも資本主義も共産主義と同じように、その自らの大きな欠陥によって近々崩れてしまう因果を進んでいるのは、この世界の惨状を見ていても明らかでしょう。
だったら今から転換して行ったらいいんじゃない?(笑)
学者さん達も、ぜひみんなが幸せになれる新しい人類の社会システムをしっかり考えて欲しい。
殆どの政治家さん達は我欲に走り捲くっているので頼りにならん。
おりゃそういう頭もないし、世界中みんな幸せになると信じて、
野生動物のように大自然の導きに全てお任せして行動して行くだけ。
この20年そうして来たら、こういう生き方になって来た。
自然界は、人類を滅ぼすために作ったとは俺には思えない。
ちゃんと人類が生かされる道を用意してくれているに決まってるよ。^^