個人間抑止力の想定。
ある高校の剣道部の少年が不良グループに目を付けられ脅された。
恐れた少年は竹刀を袋に入れ常に持ち歩けばやられないと実行する。
それを見た不良達はナイフを学校に持ち込み少年にちらつかせた。
びびった少年は父の骨董品の日本刀を竹刀袋に入れ学校で不良達にちらつかせた。
互いにびびり合う不良グループと少年。
今度は不良達が不良ルートから銃を手に入れ、学校で少年にちらつかせた。
少年はそれ以上の武器は手に入らない。
しかし近接距離なら剣道の籠手技で瞬時に銃を持つ相手の手首を切り落とせる事に気付く。
廊下で会い逆上した両者は??
結論。
互いにエスカレートした武器の所持はより悲惨な結果を生む確率が高まるだけ。
それ以前の第三者の調停や互いの非戦への意識が戦いを防ぎます。
それが憲法9条。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追記、実はこの想定は自分自身の高校時代の経験と妄想に関係しています。
当時高校1年だった自分は、3年の不良達を恐れてすれ違うとき常に気を張っていた。
剣道部ではなかったけれど、そのような事を妄想しながら俺はやる時はやるぞという気を放っていた。
それは一種の抑止力になっていたのかも知れない。
しかし、大人になって学んだ古流剣術の、
抑止力の上を行く武士道の奥義である”戦わずして克つ。”
恐怖を克服した調和の気位。
今の自分は殺されるのも覚悟してそれを実践すると思います。